研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2017年10月13日
近年、人工知能は、より便利で豊かな社会をもたらすと期待される反面、既存の労働を代替し、多くの失業者を生む可能性が指摘される。金融業界でも人工知能の活用が段階的に進められている。本書は金融分野での人工知能導入拡大の技術的背景と金融機関の業務にもたらす変化と問題点について述べている。
筆者は東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)で、金融市場におけるトレーディング、資産運用、商品開発業務に従事、また英国駐在時はデリバティブトレーダー業務に従事した。ソニー銀行の設立に携わり、執行役員市場運用部長を務め、現在は金融系シンクタンクの役員を務めるなど、筆者は国内外の金融市場の実態と金融取引における理論、技術を熟知する人物である。
本書によれば、人工知能はトレーディングと資産運用の二つの業務領域で変化を起こしている。
トレーディング業務での人工知能の適用分野の一つがクオンツ取引である。クオンツ取引は過去の市場の動向を数理的・統計学的に分析し、市場の動きを予測して取引を行うことで、証券投資に対するリターンを得ようとする取引である。従来のクオンツ取引では過去のデータから相場を統計学的に予測するため、予期せぬ市場環境の変化への対応が困難であった。また、コンピュータに入力する市場動向などのデータの選定と新たな運用モデルの構築は人によって行われるため、膨大な時間を要する上、加速度的に変化する市場環境に対し運用モデルの見直しが追いつかないという弱点があった。しかし、人工知能によりデータの選定と運用モデルの調整が随時可能となることでクオンツ取引の弱点が克服された。既に高速高頻度取引(HFT)業者やヘッジファンドが人工知能をクオンツ取引に適用している。特に、HFTにおいてはロボ・トレーダーを使って1ナノ秒(10億分の1秒)単位で取引を執行している。
資産運用での人工知能の活用には、ロボ・アドバイザーが挙げられる。ロボ・アドバイザーは質問に対する顧客の回答情報を人工知能が分析し、顧客のリスク許容度を把握、リスク許容度に合わせた投資ポートフォリオに基づいた資産運用商品を提供する。米国のリサーチ会社アイテ・グループの試算によると、日本におけるロボ・アドバイザーの預かり残高は300億円程度(2016年度末時点)であるが、2020年までに1兆円を超える。ロボ・アドバイザーは人の認識バイアスによる情報の見逃しや過大評価などの投資判断リスクを減らすことができるため、従来の投資アドバイザーや証券会社のリテール営業の業務を代替しうると筆者は主張する。
筆者はこれら二つの業務領域にさらなる変化をもたらす技術革新として、ディープラーニングの発展を挙げる。ディープラーニングとは従来の機械学習の延長線上にある技術である。機械学習は、与えられたデータから情報を分析し予測することにたけた手法ではあるが、入力するデータは人間が選ぶため、その選択により予測精度が大きく変わる。一方、ディープラーニングでは、コンピュータが大量のデータを何階層にもわたり分析することで、入力データと出力データの間の相関性を見いだすことが可能になる。結果、与えられた大量のデータの中から重要で意味のあるデータのみを自動抽出・分析し、人間は労力を使わず、より複雑な予測問題を解くことが可能となった。
このように金融業界の業務に変化をもたらす人工知能技術であるが、同時に筆者は、金融業界における人工知能技術の活用に対し二つの問題点を挙げている。
第一の問題は技術の導入により雇用が失われる可能性である。ディープラーニングはゲームのように勝敗の定義が決まっている領域での予測問題で適用され、成果を上げてきた。筆者は金融市場の取引は膨大なデータから、相場の上下を予測し、収益の確保をめざす点でゲームと似た条件を有しており、人工知能の活用が容易な領域であると述べる。実際、ゴールドマンサックスではトレーディングがロボットに代替された結果、2000年に600人いたトレーダーが2017年には2人まで減少したとCFOが講演で語っている*1 。また、リテール金融においても個人の特性やリスク分析は人工知能に置き換わり、モバイル端末の利用も含むインターネットを使った新たな銀行サービスの拡大も相まって、米国では既存の銀行支店を削減する動きが出ている。このように顧客業務や信用リスク分析が人工知能に代替される結果、既存の金融機関の業務は大きく変化すると筆者は予言する。さらに、窓口業務など人の感情を理解し対応する業務も人型ロボットの登場などにより代替され、その結果、従来の金融業務は人工知能に大きく代替される可能性があると、筆者は主張する。
第二の問題は人工知能に関する技術の独占である。ヘッジファンド業界では多くの優秀な人工知能関連の技術者を採用し、その研究を活発化させている。その結果、人工知能技術がヘッジファンド業界に独占され、分析能力を有しない他のファンドや投資家の資金が人工知能技術を有するヘッジファンド企業に「税金のように」吸収され、技術を有する者と有さない者の格差が拡大する可能性があると筆者は指摘する。
筆者が指摘するこれらの問題点は今後の金融業を考える上でも重要な視点を与えていると評者は考える。
第一の問題点であるが、筆者は、従来の金融業務は人工知能に大きく代替される可能性があると主張するが、評者は、人工知能による代替は、金融業務の性質により一定の段階と時間が必要なのではないかと考える。例えば、人工知能が代替する業務は、サンプル数が多く、難しい判断を伴わない個人への融資判断などの「手続き化しやすい業務」であり、他方、多数のステークホルダーと協調・交渉が必要でサンプル数も少ないシンジケートローンの組成やM&Aアドバイザリー業務などの「手続き化しにくい業務」は、人工知能による代替には時間を要すると評者は考える。
第二の問題点であるが、ディープラーニング技術の開発には、良質で大量なデータと同分野での専門性の高い人材が必要である。これらのデータと人材を独占することで高度な学習アルゴリズムを開発する可能性が存在する。人工知能は学習アルゴリズムを自ら作り上げる。学習結果をもって、そのプロセスまでを推定することができないという特徴があり、外部企業にとってディープラーニング技術の模倣が極めて難しい。さらに、一度完成された学習アルゴリズムは、市場情報や気象条件など、目的に応じた情報をインプットすることで、特定分野のためのアルゴリズムとして、さらに高度化することが容易である。その結果、分野ごとに優秀なディープラーニング技術がプラットフォーム化し、データと人材が一部企業によって、さらに集約・独占される可能性がある。一部企業は企業買収や、無料サービスの提供などによって、市場支配力を活用したデータ獲得の動きを見せている。このような動きはデータ分析が経済活動に不可欠となった現代社会において、企業間の競争環境に悪影響を与えるものであると評者は考える。日本の公正取引委員会は2017年6月、データの不当な囲い込みや独占に対し独占禁止法を適用する方針を打ち出した。欧州や米国の競争当局もデータを不当に収集するプラットフォーム企業に対する、制裁金の課徴を始めている。ディープラーニング技術についても、プラットフォーム企業による顧客が利用するアルゴリズム価格の不当なつり上げや利用データの独占による市場支配力強化を防止するためディープラーニング技術の価格とデータの取り扱いに関する契約ガイドラインを策定するなど、各国の競争当局が公正な競争環境の整備を連携して行う必要があると評者は考える。
本書は、全体を通してトレーディングと資産運用業務に焦点を当てて人工知能の適用動向を検討したもので、それ以外の業務領域については詳しく触れていない。しかし、本書は、人工知能技術の発展による業務の代替や技術の独占など金融業界全体に通じる部分も多く、金融業界のこれからのあるべき姿を考える上で、非常に有用な見方を与えてくれるものである。